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時は第二次世界大戦の真っただ中、場所はリトアニアの首都カウナス(当時)の日本領事館。ここで八百津町出身の領事代理、杉原千畝が行ったこととは……。
ある朝、杉原は異様なざわめきで目が覚めました。それは、ナチス・ドイツの迫害からリトアニアに逃れ、新天地へと脱出するために日本通過のビザを求めるユダヤ難民たちの声でした。
即座に杉原は日本へビザ発給の許可を求めますが、すべて却下。本国の命令に従うのか、それとも…。覚悟を決めた杉原は、毎日ビザを発給し続けました。その数は2,139(スギハラリスト)。家族を含めれば、約6000人もの命を未来へつなげたことになります。
彼の功績をわたしたちが知るようになったのは数年前、実業家がユダヤ人を救う映画『シンドラーのリスト』が世界的ヒットとなったころでした。ようやく日本政府より名誉回復がなされたのは平成3年のこと。免職後44年、彼の死後6年の月日が流れていました。
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